昨夜、遅くに出かけたときに、やたらサイレンが鳴っているなって思って、通行人が「首里城が燃えてる」って会話してて。何かの話の比喩なんじゃないかと思っていました。
未明に来たLINEの速報では、まるで映画のワンシーンのような画が。
ショックすぎて、この目で見るのもはばかれるので、なんとなく他人事のようにふるまい、気持ちを落ち着かせているのですが。
首里城は、先の太平洋戦争末期の沖縄戦での全焼だけでなく、それ以前にも3度火災に見舞われた歴史があります。
そんな幾度の火災の過去を背負った首里城の復元は資料も少なく、並大抵ではありませんでした。
沖縄の復帰を記念する事業の一環として始まった首里城復元プロジェクトは、30数年近くにわたって、多くの方の知恵が集結して研究が続けられ、少しづつ少しづつ復元してきました。
ともかく沖縄の人にとって首里城の復元は、沖縄県民のアイデンティティの形成とともに、県民の強い要望と熱い期待がありました。
初めてお仕事で「首里城」に関わったのが、公共事業のデジタルアーカイブ事業だったのですが、それ以降も観光に関わるお仕事のたびに首里城は外せない存在で、それまでに多くの関係者にお会いしてお話も伺ってきました。
この火災は、もう言葉で言い表せない。簡単に「また復元すればいい」って言えるものでもなく、関係者は相当な喪失感をお持ちになっているのではとお察しします。
もちろん、世界遺産登録されているのは首里城跡であって、復元された建物自体は世界遺産ではありません。
しかし、沖縄を象徴し、琉球王朝時代から受け継ぐアイデンティティを映し出している存在として、復元を通して歴史と向き合い、私たち沖縄県民に広く支持され愛されてきた建物です。
首里の高台に、赤い漆塗りの建物が神々しくそびえ立ち、沖縄を語るときに必ず登場しました。
沖縄の歴史も工芸も文化もいっぱい詰まった首里城は、沖縄に行ったことはない人であってもその建物の姿だけで「沖縄だ、首里城だ」と言える人は多かったはずです。
本当に首里城は、重要なシンボルとして存在しています。
とりとめなくなりましたけど、何度も火災に遭ってる首里城の背負った宿命に、なによりも沖縄県民への試練がまた与えられたようにも思えます。
首里城公園は、休園。
『琉球王朝祭り首里』も中止が決定しました。